子供の頃は全然気づきませんでした。
もちろん他の人と色が違って見えるなどとはわかりません。
クレヨンで、これは赤、これは青、これは黄色と教えられて色の認識はできていると思っておりました。
しかし、ある出来事で自分は他の人と色の見え方が違うのだと自覚した出来事がありました。
自覚した時期
確か、小学低学年だったような気がします。多分3年生ごろだったような思い出がありますが、年度までは定かではありませんが小学生低学年だけは確かです。
自覚した出来事
学校の健康診断(石原式色覚異常検査表)
学校の健康診断で、クラスの皆で体育館に行って、そこで体重や視力検査した後に、石原式という色覚検査の表にある数字を読むように言われた。
丸い枠の中に丸の粒が沢山あり、そこに色違いや濃淡がついているなかに浮かび上がる数字を読み込むというものだった
私は最初の白黒と次のページの数字は分かったが、それ以降の数字が全く読めなかった。また読める数字があったが違う数字だった。何度か先生が検査を繰り返したので、周りに友達が集まってきて、えーなんで数字見えないの??などいろいろ聞いて騒ぎになった。
その後、結構「この色は?」などとからかわれたりしたが・・・アホというか?なんというか自分は人と違っているということで得意になって、色違いの質問?苛め?に喜んで対応していた。
今考えると、プライバシーも何もない集団検診でしたね。今はどうなっているのかわかりませんが、時間がかかったとしても個室などや囲いをして個別対応をした方がよいと思いました。
なお、一時期していなかった色覚検査が復活して任意検査になったようです。その記事は別途で
その後の小学校時代での様子
多くの人が色覚異常(色弱など)幼年期にからかわれて委縮してトラウマになり心の傷になる場面で、自分はそれがなかったので、ある面助かっているのかもしれなない。
小学高学年になっても、私が色弱だということをしっている友達が時々「これ何色に見える?」と尋ねてくることもあったが、間違って答えることも陽気に答えていたのを覚えている。対応した友達は、本当に見えないんだ?と不思議そうにしていたのを思い出す。
記憶には殆どないが、色覚異常でからかわれたり、していたのかもしれないが全く記憶に残っていない。
そこが今に幸いしているのかもしれない。
下記の引用を見てみる限り、自分の記憶は大体あっているように思う。
最初の表は白黒と色の明確な違いの表で読めた、。次が読めなくて、最後の表は数字が読めた。ので記憶の通りですね。
なので、皆が読めない数字を読めたことを得意がっていた(笑)
ちなみに各表の説明文を一応赤字下線にしましたが、その文字は私には見えずらくよくわかりません。
石原式検査表とは
軍隊では軽度の色覚異常であっても問題であると考えられていたため、陸軍軍医であった石原忍軍医監は、新たな色覚検査表を開発し、徴兵検査用に使用することになった。これが石原表の起源であり、その後学校保健の場にも取り入れられた。
25枚の数字表と13枚の曲線表からなる。数字表は表に斑点で書かれている数字を読み取るタイプで、曲線表は曲線をたどるタイプである。それぞれに1類表(デモンストレーション)、2類表(変化型)、3類表(消失型)、4類表(隠蔽型)、5類表(分類型)がある。
1類表はどのような種類の色覚を持つ人にも読めるため、視力障害や知能などの別の理由で表を読み取れない人を色覚異常と区別するために存在する。
2類表は色覚異常によって見える数字やたどる線が変化する表である。
3類表は色覚異常のある人には読めず、色覚正常の人には容易に読める表である。
4類表は逆に色覚異常のある人には読め、色覚正常の人には読めない表である。