色覚異常(赤緑色弱)で生まれて50年

2018年50歳の色弱のシニア男性。今まで50年生きてきて仕事やら私生活で起きた色覚異常での障害や感じた事やら実体験にもとづいて語ってみようと思いブログ開設しました。

色弱で黒板の赤いチョークが見えにくい学校生活だった

 

色覚異常(色弱)の私が学校生活で困ったことの一つに黒板にかかれた赤が見えずらかったり見えなかったりした出来事などをまとめてみました。

 

 

黒板の赤が見えない。

f:id:sinsin555:20180622143544j:plain

 

先生が一番注意するべき個所を赤のチョークでよく書いていたが、黒板の色に混じってしまい見えなかったり、見にくかったりしていた。

なんで、黒板に紛れてしまう赤が目立つのだろうか?とずっと思っていた。

 

色弱だということは自分で知ってはいたが、それで黒板の赤が見えづらいとは暫く気づかなかった。単に目が悪いのだと暫く思っていた。

 

赤の文字が分からなかったときは後で近づいて書き直したり、想像して書いたり、近くの友達に目が悪くてと言ったりして聞いたりしていた。

(小学校時代はカミングアウトしたが中高学校では何か恥ずかしく思い隠していた)

 

自分は白のチョークのみで書いてほしいが、熱心な教師の人ほど多彩な色のチョークを使う(笑)。なので熱血でない?教師で白のチョークのみで授業する人の黒板が見やすかった(笑)。

自分がもし使うならやはり黄色のチョークですね。白と黄。
それとワイドボードだと赤は黒板より分かりやすいです。

 

それと黒板を緑といっていたのもよくわからなかった。黒板は言葉通り私には黒に感じていた。


運動会のハチマキの色が分からない

自分がいた小学校はマンモス校で、確か10クラス以上だったと思いますが、運動会に利用していたハチマキが白・赤・黄以外の青・紫・緑・オレンジ・・・・何色だったか忘れましたが見分けがつかないハチマキがあった。リレーなどは色でなくて人の顔を見て判断していたように思う

 

図工などでの絵画するときの絵の具

幼稚園のお絵描き教室での出来事(緑人間・茶色の木)や小学校の色覚検査で赤緑色弱と診断されたので、自分では変な色だと思っても、人は肌色。木は緑。○○は〇色。という決まり事を聞いていたので、おかしいと思いながら、その周りが言っている通りに描いていた。


色鉛筆やクレヨン、絵の具などの使い方が良くわからなかったのを覚えている。

 絵を描くと色合いが全体的に暗い色調で描かれるのが多かったように思う。カラフルな色遣いの明るい絵を描く子を感心してみていたように思い出す。

 

濃淡だけの鉛筆デッサンなどは得意だったように思う。

 

色に関して以外の美術・図工などは好きだった。

 

教科書の教科書のグラフや地図などの多色利用しているもの

教科書の中で多くの色を使っているグラフや地図の中の色合いが見分けつかなかった。

特に細い線での色分けのグラフが見分けがつかなかったし、グラフに色鉛筆で色別に書き込んだりすることや、地図の中から赤文字や色を選ぶなどが苦手だったように思います。

 オレンジ色を探してみましょうなど・・・

後で紹介しますが、東京の地下鉄路線・・・全然わかりません(笑)青・黄色などはわかりますが・・・

 

理科の実験のリトマス紙

酸性は青が赤に、アルカリ性は赤が青に変化する紙。
これはわかりました。色が変わる瞬間も同じ紙で上は濡れてない部分、濡れた部分での変化はわかりましたので、強い色弱ではないのかもしれません。

(※実は小学校の色覚検査以降、詳細な検査をしていないので自分がどの程度のレベルの色弱なのかが分かっていません)

 

今後の学校にたいしての要望

日本男性に20人に1人といわれていますので、確実に学校に色覚異常の生徒がいます。そこで、チョークは赤でなくて黄色を使う、図画工作、美術などの時に気に掛ける等の配慮を希望しますし、各教師がその生徒を把握して、色識別の問題を出したりして皆の前で恥をかかすことのないようにしてもらいたいものです。

 

その他

学校時代の色覚における色々あったとおもうのですが、いじめにあったとか、嫌な目にあったとか、恥をかいたとこはあまりなかったように思いますので思い出せないのかもしれません。思い出したら追加記載していきたいと思います